捨て猫あめの物語-後編-

2年経った頃、あめはすっかり田舎に溶け込み、田舎の猫との縄張り争いに屈することなく、時々怪我をしつつもたくましく育っていました。夏の暑さは苦手なのに、冬の寒さは大好き。猫って自由が基本なのに、呼ぶと走ってついてくる。まるで犬のような動きを見せます。爪は未だ研げず。。(笑)
そして私たち家族といえば、父は後遺症と向き合いながらも随分動けるように。
同時期に見つかっていた比較的軽い癌も手術をする所まではいかず、様子を見ながらの生活。私はこつこつ工具を買い揃え、資金もそこそこ貯まったところで、いよいよ独立を決意。家族に告げてみんなから反対、更に父からは猛反対を食らいました。
丁度倒産しそうな会社だったので私自身は踏ん切りがついたのですが、父は倒産するはずがないと。けれど経験者は分かる。倒産前の状況。案の定私の読みは当たって1年後、会社は事実上倒産。時代の変化の波が田舎にも訪れていました。
両親が離婚、お母さんについていったけど父が子供の頃に癌で他界し、働きながら定時制の学校に通い、映画館の2階でひっそり暮らしていた父。
父は末っ子。長男であるお兄さんは後を継がずに結婚してしまったため、おじいちゃんに頼まれてこの家に戻って跡取りとなりました。その時は既に後妻(今も健在94!)さんがいたので物凄く複雑な気持ちだったろうと思います。
認めないと言い張っていた父も、内心では激励も込めての言葉だったのだと思います。苦労をしている父だからこその言葉でした。父の愛。
自宅の倉庫を改装して新しいアトリエを構えると決めた時も、何だかんだいいつつも、家族みんなが協力してくれました。
独立して家賃を毎月収めつつ、少しの借金(ほぼ廃材、自身で改装)を払いきった一年後、よく頑張ったとようやく認めてくれた時は本当に嬉しかった。
そんな家族の風景をいつも眺めながら、穏やかに見守ってくれていたあめ、表には出さない父の優しい心を一番にわかっているから、一番父になついていました。一番に父を癒し、そして父も一番にあめがかわいがっていたのだと思います。
みんなの協力のお陰で生まれたアトリエで、あめちゃんは愛芽(当時meme)の看板猫となりました。なつっこいあめちゃんは、お客様にもすぐなつきます。だからお客様からもとても可愛がられました。お客様にも癒しを届けていました。
私の作業中にはお膝に乗ってくることもしばしば。重いのと作業にならないのとでテーブルに移動させます。でもとっても嬉しい時間。
しばらくして、私はまた此処にもどってくるのだけど、結婚して一旦アトリエを離れ、あめちゃんともお別れ。
時々お家に戻ってきては、あめに癒しをもらっていました。出産後は子供中心で、実家に帰ってきてもあめちゃんになかなかかまってあげられなくて今思うと可哀想なことをしていたな。。
そうしてまた数年の時が経ち、出戻ってきた私。丁度その頃、父はいよいよ癌の手術をする事になったのです。医療の発達のお陰で無事に終了。経過を見ながら過ごす日々となりました。飲み続けていたホルモン剤の副作用がなくなったおかげでみるみる体力もついて、どんどんと元気になってゆきました。
息子も少しの間あめちゃんと一緒の生活ができました。その頃にはあめちゃんはもう10歳を過ぎた頃なのでお年寄り。日中はやんかな息子や甥っ子姪っ子達がわいわいうるさいので、なかなか落ち着けない様子。
それでも私の膝の上に来てくれるのはとっても嬉しくて、猫アレルギーだけど鼻水をこらえながらなでなでしていました。
そうして半年が過ぎた頃。年末から急にご飯を食べなくなりました。
亡くなる一週間前の事。
ただじっと。お水を飲むだけ。
寝ては水を飲むの繰り返し。
更に寒い冬に長時間じっとお外のひっそりした場所で過ごすようになったのです。
動物は死期を悟ると誰も知らないところへ行くといいますが、そういう気持ちなのか。
私たちも何となく覚悟をしていました。
病院に行けばいいのかもしれないのだけど、過去の経験上、自然に寿命として死期を見届けるのが一番と思っている私たち家族は心構えだけして見守っていました。
苦しまずに自然に。。
水だけで過ごすあめちゃんはまるでお坊さんのようでした。
トイレもきちんとお外で済ませもどってくる。
外でじっと過ごしたかと思えばまたお家にかえってくる自然に命が終わるのを待っている。体の機能が終わるのをただ待っている
だから毛並みも綺麗なまま
母が外へ行かないように囲いをしたけれど、やっぱり嫌がって暴れました
だから自然に過ごしました
最後の日は自然に私の膝の上で寝て、自然にお外に行こうとし
自然に倒れ最後に鳴きながら、にゃーにゃーと自然になくなりました。 最後も捨てられていたあの雨の日鳴いていたように…
私は見届けられて本当に嬉しかった
以前飼っていた親友の猫は看取ってあげられなかったから。
あめちゃんは素晴らしい猫でした。
外からも居間の中が見える所に家族みんなであめちゃんのお墓をつくり、
沢山のありがとうを言いました。
最後は雨ではなく雲一つない晴れた日でした…
今思うとあめちゃんは一番に父を見守り癒していたのだと思いました。
丁度父が脳梗塞で倒れた後にやってきて、ずっと父の容態を見守ってきたのだと。だから父が元気になっって安心して天に召されたのだと。これがあめちゃんの一番のお役目だったのかもしれないなぁ~と感じました。
…亡くなってから丁度一年。
アート展のサポートチームに参加した私。そこで保護猫活動をされている、Tomoko Takigawaさんと出会い、お友達になりました。彼女のアイコンにはっとします。
アイコンの猫があめちゃんにそっくり!

そしたら急にあめちゃんを思い出して、懐かしくて、泣けてきて。。
アトリエで撮ったあめちゃんの写真をまた再び使うようになりました。勿論絵の登場猫は違う猫なのだけど私にはあめちゃんそっくりに写ってしまったのです。
これはきっとあめちゃんのご縁だと思いました。あめちゃんが保護猫活動のことを私に知らせてくれた気がしました。
そして、「僕は今も家族を見守ってるよ。そして僕の事もともちょんみたいに書いてくれたら嬉しいな」って言っている気がしたのです。
だからこうして私の物語に加えます。
あめちゃん。改めて素敵な家族との物語をいっぱいの癒しをありがとう。
そして素敵な出会いをありがとう
愛と感謝を込めて…🌱

この記事を書いた後、またTomokoさんと話す機会があり、この展示会をすることになりました。それ迄は全くこの展示会は予定していなかったのです。
心ちゃんとあめちゃん撒いた虹の種を受け取った瞬間です。
この展示会はお客様に保護猫について知ってもらい、作品を楽しんでもらうと共に、亡くなっていった沢山の小さな命(猫)達に捧げたいと思います。